「ひとりコントの女王」として注目されている楠美津香さん。
名脇役俳優のモロ師岡(もろ もろおか)さんの奥様としても有名ですよね。
今回はそんな楠美津香さんの経歴やプロフィールを調査しました。
それでは早速見ていきましょう!
楠美津香(モロ師岡の嫁)は何者?wikiプロフィールまとめ
俳優•モロ師岡さんの嫁であり、「ひとりコントの女王」として話題の楠美津香さん。
彼女は一体何者なのでしょうか。
まずは「wikiプロフィール」と題してまとめていきます。
- 名前:楠美津香
- 読み方:くすのき みつか
- 生年月日:1962年3月24日
- 年齢:61歳 (2023年7月現在)
- 出身地:東京都
- 旦那:モロ師岡
楠美津香さんは1962年3月24日生まれの、現在61歳です。
年齢的にはモロ師岡さんより3歳年下となります。
ピン芸人として活躍されており、中でも「ひとりシェイクスピア」というコントが代表的ですよね。
趣味はギターの練習やバイオリン•ボディビルディングなど、音楽や身体作りにも興味があるとのこと。
今ではピン芸人としてのイメージが強い楠さんですが、元々は女優志望だったようです。
そんな楠美津香さんの具体的な経歴については、次で詳しく見ていきたいと思います!
楠美津香の経歴と学歴まとめ!ひとりコントのパイオニア的存在!
ここでは楠美津香さんの経歴に迫っていきます。
ひとりコントのパイオニア的存在の彼女ですが、これまではどのような形で活躍されてきたのでしょうか。
- 横浜放送映画専門学校時代
- 1982年:ピックルスを結成
- 1984年:ピックルス解散、コントきゃんでいず結成
- 1986年:ふらみんご結成
- 1989年:ふらみんご解散
- 1992年:ひとりコントライブを始める
- 2000年:ひとりシェイクスピアを始める
では、それぞれ見ていきましょう!
横浜放送映画専門学校時代
楠美津香さんの最終学歴は「横浜放送映画専門学校」卒業です。
専門学生時代に「内海桂子•好江」の漫才教室に行った際、お2人の漫才を見て感動したそうで。
楠美津香さんがお笑いに目覚めるきっかけとなる出来事でした。
1982年:ピックルスを結成
女性コントコンビ【ピックルス】緒形拳 辰巳柳太郎両氏のお弟子二人が今村昌平氏の肝入り結成した幻のコンビ 若かりし日の楠美津香 pic.twitter.com/K5KJ9voW2Q
— のんちゃん (@jazzranchan) March 8, 2016
1982年にお笑いデビューを果たした楠さんは、当時の級友と女性コンビ「ピックルス」を結成しました。
そして、なんと「お笑いスター誕生‼︎」で9週連続で勝ち抜きを果たすことに。
2ヶ月以上、記録を保持するとは相当勢いに乗っておりますね。
Twitterでは、ピックルス時代の楠さんの写真が投稿されておりました。
写真右側が若い頃の楠さん。
面影はありますが髪がとても長く、また違った印象ですね。
1984年:ピックルス解散、コントきゃんでいず結成
しかし、1984年にピックルスは解散してしまいます。
以降は「コントきゃんでいず」というコントコンビを結成したものの、すぐに解散してしまったようですね。
1986年:ふらみんご結成
1986年には新たに「ふらみんご」というコントコンビを結成することとなります。
ふらみんごの実績としては、第2回NHK新人演芸コンクールの演劇部門にて「最優秀賞」を受賞。
やはり、楠さんの実力は只者じゃないですね。
1989年:ふらみんご解散
しかし、1989年にはふらみんごは解散。
その後はコントとしてのプレイヤーから一旦離れ、コント作家や別業種の放送作家として活動することとなります。
コンビを結成しては解散しての繰り返しでしたし、別のお仕事をして気分を変えたかったのでしょうか。
1992年:ひとりコントの単独ライブを始める
楠美津香ひとりシェクスピア「ヴェニスの商人」旭川公演、大好評で幕を開けました。(カーテンコールの楠さんを撮影) 明日、14時からあります。 pic.twitter.com/Ayh5t084hS
— まちなかぶんか小屋 (@machi_goya) March 29, 2019
お笑いとは別業界で活動していたものの、楠さんはモロ師岡さんのひとりコントライブに影響を受け、再び舞台に復活することに。
1992年にはひとりコントの単独ライブを始め、演芸場に出演されました。
そして同年、モロ師岡さんとめでたく結婚された楠美津香さん。
今でもピン芸人の肩書きは残ってますし、楠さんの人生の中でモロ師岡さんの影響はとても大きかったのですね。
これまでいくつもコンビを結成してきましたが、解散までが早かったですよね。
それには何か理由があったのか、とても気になるところです。
2000年:ひとりシェイクスピアを始める
そして2000年。
楠美津香さんの代名詞である「ひとりシェイクスピア」を始めることとなります。
「ひとりシェイクスピア」とはその名の通り、シェイクスピアの戯曲で出てくる多くの役を1人で演じるというもの。
「ひとりシェイクスピア」ではシェイクスピアの戯曲を、
など、構成•演出も全て楠さん本人が手がけております。
楠さんのキャリアの中では、コントのプレイヤーを離れ、作家として活動していた時期もありました。
その頃のスキルが今でも活かされていると考えられますよね。
モロ師岡との馴れ初めはストリップ劇場?
モロ師岡さんと楠美津香さん。 pic.twitter.com/3gCFPSacYf
— 濹東キネマ☆濹東名人会 (@bokutoukinema) November 22, 2021
先で見た通り、楠美津香さんの旦那さんは役者のモロ師岡さんです。
お2人の結婚は1992年でしたが、一体どのような馴れ初めだったのでしょうか。
調べてみたところ、なんとストリップ劇場での出会いがきっかけだったようです。
2017年11月には楠さんとモロ師岡さんの、下積み時代のエピソードが特集されておりました。
妻:それにしても朝から晩まで劇場にいたね。ストリップは年中無休だし。
夫:ショーは昼からなんだけど、10時に入って掃除。出番が終わっても帰れないんです。いつ用事を言いつかるかわからないからって。
妻:ちょっとした軟禁状態ですよ。
夫:夜10時で舞台が終わって、今度は片づけ。あんまり家に帰れないから、アパート引き払って楽屋で寝泊まりしてました。
妻:ギャラは安かったけど、外へ出ないからお金を使う機会もなかった。
夫:ワンステージ500円で1日4ステージぐらい。それに食事代が500円。月に7万5千円ぐらいなんですけど、ご飯もお酒も先輩がおごってくれるし。
妻:あのころのほうが、いい服着てた気がする(笑)。
引用:AERA.dot
当時、役者になりたかった楠さんは、故•今村昌平監督が設立した学校の演劇科に通っておられたそうです。
学校での授業に内海桂子•好江師匠が来られ、漫才を勧められたのがきっかけで、お笑いの道へ。
楠さん自身としては元々、アングラ劇場で活躍したかったそうですが、お笑いの仕事が立て込んでいたとのこと。
その頃は9週連続お笑いで勝ち抜けていたため、お笑いの仕事が次から次へときていたようです。
朝から晩までストリップ劇場にいた楠さんは、モロ師岡さんとの出会いを果たしたそうですね。
ファンキーな性格も合うでしょうし、意気投合するのも早かったのでしょうか。
モロ師岡さんについても、ドラマ出演が多数控えておりますし、これからのお2人の活躍を応援していきたいところです!
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