林承賢(林養賢)の死因は結核?生い立ちが壮絶で母親•志満子も自死…

1950年7月2日に金閣寺を放火した犯人の林承賢(林養賢)。

一体何者なのでしょうか。

壮絶な死を遂げたことでも注目となっておりますが、死因は一体何だったのでしょうか。

また、母親が自死を遂げたというエピソードもあり、壮絶な生い立ちにも迫っていきます!

目次

林承賢(林養賢)は何者?顔写真もあり

1950年7月2日に金閣寺を放火した犯人である、林承賢(林養賢)。

彼は一体何者なのでしょうか。

まずはプロフィールに迫っていきます。

  • 名前(本名):林養賢
  • 読み方:はやし ようけん
  • 別名:林承賢 (はやし しょうけん)
  • 生年月日:1956年3月7日
  • 年齢:享年26歳
  • 出身地:京都府舞鶴市成生
  • 最終学歴:大谷大学中退

林承賢(林養賢)が金閣寺を放火した時は、1950年7月2日のことです。

当時22歳の林氏は金閣寺の「見習い僧侶」として、修行を続けていたとのこと。

名前については本名が「林養賢」。

生まれつき吃音症(言語障害の一種)を患っており、自分に自信がなかったのだそうです。

林承賢(林養賢)の死因は結核?

林氏が起こした金閣寺の放火事件。

事件概要を深堀りしていくと、相当壮絶な内容が掲載されていたのです。

21歳の昭和25年7月2日未明、突然金閣寺に放火、炎上させ、自からは自殺を計り、山中に横たわっているのを発見された。犯行の半年後懲役7年の判決を受け服役。恩赦減刑による刑期満了で釈放されたが、洛南病院に入院、31年3月、26歳で没した。

引用:コトバンク

なんと、金閣寺を放火し炎上させた後、自らの命を断とうとしたそうですね。

事件後は未遂に終わりましたが、以降、7年の判決を受け逮捕されることとなります。

最終的には26歳で没。

死因は結核だと言われております

刑務所で過ごしている間に結核を患ってしまい、結果的に死去されてしまいます。

周囲の人とコミュニケーションがうまくいってなかった

26歳という若さでこの世を去ってしまった林承賢(林養賢)。

生前は周囲の人とコミュニケーションがうまくかず、悩んでいた過去があったようです

母親(林志満子)とはしょっちゅう衝突をしていたとのことで、あまり良い親子関係とはいえない状況だったとのこと。

20代中頃といえば、親からは自立していく世代ですよね。

まぁ、修行僧ということもありますし、林氏は何かしら?縛られていたと感じていても不思議ではないです。

身近な人間関係からは逃れることができませんし、これらのストレスが事件を引き起こす引き金となってしまったのでしょうか。

林承賢(林養賢)の生い立ちが壮絶!母親も自死と衝撃のエピソード

ここまで林承賢(林養賢)の事件概要を見てきましたが、正直壮絶なエピソードでしたよね。

しかし、事件後も悲しいことがまだ続いておりました。

それは、林氏が放火事件を起こした後、母親の志満子は自死をすることとなったのです

天塩にかけて育てた修行僧の息子が、このような事件を起こし、気が動転してしまったとしてもおかしくはありません。

林氏が事件を起こしてしまったのも、辛い生い立ちが原因の可能性もあります。

70年以上前の事件にはなりますが、本事件は今後も語り継がれるでしょう。

二度とこのような事件は起こしてはならないですね。

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